Inspiration

Inspiration
ジャクリーン・サーデル ジャクリーン・サーデル

ロープを結び、空間に線を引く
身体と記憶の痕跡で描く壁面作品
TEXT BY YOSHIKO KURATA
EDIT BY SAKIKO FUKUHARA

TEXT BY YOSHIKO KURATA
EDIT BY SAKIKO FUKUHARA

昨年、日本で初個展を開催したアメリカ・シカゴ在住のアーティスト、ジャクリーン・サーデル。同展覧会では、約1ヵ月間の日本での滞在制作を経て、日本庭園や街並み、風景に影響を受けた壁面彫刻を発表した。アーティスト活動を始める前は、幼少期から競技スポーツの世界で活躍していたというジャクリーン。2メートルを超えるものもある大型の作品は、主に工業用ロープを素材とし、何度も結んだり、時によじ登ったり、まるでスポーツをするように全身を巧みに使って制作するのだという。身体性と精神性どちらとも向き合う彼女の創作活動について話を聞いた。

家族と祖父母と過ごしたシカゴでの幼少期の思い出を教えてください。作品に影響を与えた当時の風景などはありますか?
画家の祖母が、自宅にアトリエを構えていました。そんな環境で育ったので、アートは決して特別なものではなく、むしろ日常の一部として当たり前に存在していたのです。そこでの体験がとても印象に残っていて、いまでも覚えています。祖母は「全身を使って作品をつくるのよ」とよく言っていましたが、その言葉もたびたび思い出します。風景というものがいかに記憶や感情を宿すかについて強く意識するようになったのは、ミシガン湖のほとりで生まれ育った体験が大きく影響しています。こうした考え方は、今でも繰り返し作品の題材になっているのです。
アスリートとしてのバックグランドも持っているそうですね。どのような転機で、アーティストの道に進んだのでしょうか?
競技スポーツと創作活動という2つの世界を常に行き来していました。大学でバレーボールを続けていたのですが、怪我で競技人生が終わってしまって。それがきっかけで、よりアートに真剣に向き合うようになりました。そして制作に取り組む中で、スポーツの楽しみであった身体性や規律は、ロープを用いてフィジカルに作品を制作する現在の手法に自然とつながっていることに気づいたのです。繰り返し結び目をつくる作業や、大きな作品に取り組む持久力。そういったプロセスは、身体に染みついた言葉のようでもあり、自分にとって安心感を覚える行為でもあります。
Courtesy of Gallery Common.

アスリートとしての経験と、アートの世界に共通するものはありますか?
もちろん。どちらも集中力や規律が求められますし、その瞬間、瞬間で、自分の身体に意識を向ける力が必要とされます。そしてスポーツもアートも失敗と向き合い、受け入れることが求められますよね。自分が歩んできたプロセスを信じ、壁にぶち当たっても前に進むことを学んでいるのです。だから彫刻をつくることは、ある意味「トレーニング」。身体を使って繰り返し向き合うことで、少しずつ作品が進化するさまは、試合に向けて練習する感覚と似ているなと感じます。
数ある表現方法の中で、なぜロープを使った壁面彫刻を選んだのでしょう?
これまでずっと絵画と彫刻の中間にある表現に惹かれてきました。私は壁面作品を通して、その境界を探っているんです。特にロープの魅力は、強さと柔軟さの両方を持ち合わせ、そしてすべての動きを記録し、身体の痕跡を残してくれるところ。産業用ロープと結びの技法を使えばドローイングでもあり、地形を描くかのような作品が生まれます。私にとって作品は、身体的かつ感情的な風景を描いた地図のようなものなのです。
Study of Red Rope(2021年)

影響を受けた人物や、ずっと大切にしている価値観について教えてください。
私がいつも大切にしてきたのは、粘り強さと寛容さ、そしてストイックさです。それらはスポーツのコーチたちから感じた精神性であり、今ではアーティスト仲間たちからも同じようなものを感じます。そして祖母が教えてくれた「全身でつくる」という哲学は、今でも私にとって大きな支えになっています。それに加えて生態学、カトリックの図像学(イコノグラフィー)、自分のルーツなどさまざまな要素が、フォルムや儀礼的な行為、しなやかさについて、私がどう考えるかを教えてくれるのです。また、シーラ・ヒックス(Sheila Hicks)やエヴァ・ヘス(Eva Hesse)、リー・ボンテク(Lee Bontecou)をはじめとしたフェミニズムに関わる思想家や作り手たちにも強く惹かれるものがありますね。
作品にはロープのかたちや弾力を通して、素材との身体的な関わりの痕跡が色濃く現れているように感じます。作品に共通するテーマや考えを教えてください。
根底にあるのは、内面と外面の両方にある風景が自身の経験をどのように映し出すのかという問いです。先ほどお話しした通り、わたしは彫刻作品を記憶や身体の動きを可視化した地形のようなものと捉えています。結びの作業は身体で描くしるしのようなもので、一方、ロープの伸縮性や張りは感情の緊張や緩みを表しています。素材がどのように身体の存在を記憶するのか、そして形が存在と不在について、いかに同時に暗示させるのかということに関心を持って制作しています。
Scylla iv(2021年)

絵画とは異なり、ネットやメッシュを使った表現は作品に独自のダイナミズムをもたらしているように感じます。大規模な作品も多いですが、どのような制作プロセスをとっているのでしょうか?
大きなスケールで制作するということは、自分の身体を作品との関係の中で常に意識するということでもあります。パフォーマンス的なプロセスなので、作品によじ登ったり、紐を引っ張ったり、結んだりしながら、即興的に進めていきます。ネットやメッシュの多孔性は、軽さと密度の両方を表現する素材だと感じていて。そこには、ないものがむしろ存在感を持つ空間が生まれますし、風景のなかに見えなくなったものや記憶がどのように残っているのかという自分の関心にも重なります。だからこそ、スケールや素材の選択は、作品のコンセプトと切っても切り離させない関係なのです。
Reliquary #7(2022年)
Reliquary #7(2022年)

初期の作品では、フレームの中に全体が収まり、色合いも落ち着いている印象です。最近の作品になるにつれて、よりカラフルで、奥行きや弾力のあるフォルムに変化しているように見えますが、なにか制作過程や考え方に変化が起きたのでしょうか?
そうですね。時間が経つにつれて、素材面でも感情面でも作品を拡げていくようになりました。初期の作品には、ある種のコントロールや抑圧が表れていたと思います。今は、もっと透過性、流動性、そして制御しきれないものを受け入れることに興味があります。そのなかで、色もより際立つようになり、それは感情や記憶、感覚体験を描きだすもう一つの方法になっています。ある意味、この変化は私自身の脆弱性としなやかさに対する向き合い方の移り変わりも表しているのかもしれません。
Let's be Stars(2016年)

よく登場する「円」のモチーフには、どのような意味や象徴が込められているのでしょうか?
「円」は完全性や循環、そして存在の移り変わりを示す通路の入り口のようなものを象徴しています。また、集いや追悼といった儀式的な感覚も呼び起こすモチーフだと思います。私自身カトリックの家庭で育ったこともあり、光輪や花輪、聖堂の建築など、神聖な空間の中で繰り返し円を目にしてきました。円は安定と不安定どちらも感じさせる存在であり、包み込む安心感を与える一方で、終わりのない回帰を示唆するものだと思います。
Earth Licker(2022年)
Earth Licker(2022年)

吊るされたり、垂れているようなかたちの作品も多いですが、重力をどのように捉えていますか?
重力は、共に作品をつくるコラボレーターのような存在です。吊るした作品が弛んだり、伸縮するなかで、自然に落ち着く場所を見つけたり、まるで素材自体が自らを語り始めるように感じることがあります。私の興味は、重力が作品に内在する緊張や脆さをどのように引き出すのかということ。それによってあらゆるものが固定されず、すべてが流動的かつ交渉の余地があるという考えをよりはっきりと意識できると思います。
Threshold(2023年)

ジャクリーンさんの技法は、編む、結ぶ、縛るなど様々に表現できますが、ご自身ではどの言葉が一番しっくりきますか?日本では「織ることは祈ることでもある」という言葉があります。
いい言葉ですね。私も似たような感覚で制作していると思います。プロセスとしては「結ぶ(knotting)」ことが軸になっていますが、より詩的に言えば「空間に線を引くこと」や「つなぎとめること」として捉えています。反復的な作業はとても瞑想的で、身体を通した祈りや呪文のようでもあります。そうしたプロセスの中で、ひとつひとつの結び目に意図や手触りが宿るように感じます。
ご自身の作品の中で、繰り返し使う色の組み合わせはありますか?
深みのある青色、土のような赤色、淡く氷のような色味に惹かれます。特に青色は、個人的に強い意味を持っていて、水や記憶、空を連想します。穏やかさと深み、神聖さと郷愁の間を揺れ動くような色に感じられるのです。そして、意外性のある色の組み合わせにも惹かれます。たとえば、くすんだトーンにアシッドグリーンを合わせたり、ラベンダーに錆色を重ねたり。腐敗と生命力の両方を感じさせてくれる色使いをよく用いているかもしれないです。
Untitled Noir Series(2022年)

昨年、Gallery Commonで個展を開催した際に日本で一ヶ月滞在制作したと伺いました。日本の文化や風景からどのような影響を受けましたか?
日本で過ごした時間は、私にとって大きな転機となりました。特に印象的だったのは、素材への細やかなこだわりと、空間に宿る詩的な感覚です。主に庭園や禅の思想に見られる、余白を活かした「不在の建築」ともいえる空間のあり方に、深く感銘を受けました。また、江戸時代に魅了され、当時日本がオランダ東インド会社のみと交易していたことから、その交流を仲介するために造られた人工島・出島についても時間をかけて調べました。デルフトブルー、交易、文化翻訳や転用を含む歴史に触れることで、作品のコンセプトの枠組みをつくっていきました。その結果、いつもより色彩もさらに柔らかく、空気感のある方向へと変わったように思います。氷のような青、くすんだ緑、そして庭園や織物市場、自然の中で出会った珊瑚色や金などのきらめき。そういった要素が、作品のカラーパレットに表れていたと思います。
『Bliss! 』Installation View(2024年)Photo by Yuma Nishimura. Courtesy of Gallery Common.
『Bliss! 』Installation View(2024年)Photo by Yuma Nishimura. Courtesy of Gallery Common.

日本滞在中、特に印象に残った風景や色、空気感などがあれば教えてください。
長野の雪山や、運河沿いの霧が立ちこめる夕暮れは、とても印象的でした。苔むした石の静かな重み、古びた木の質感、寺院の中に差し込む光の移ろいをまとった空気が作品に息を吹き込んだように思います。質感や色調、光のごくわずかな変化が、どれほど感情に訴えかけるのか、あらためて意識的になりました。
今後開催する展覧会について教えてください。
今年の秋に、シカゴの「SECRIST | BEACH」で個展を開催する予定です。森を記憶、神話を「しなやかな強さを持った場」としてとらえ、個人的な記憶や歴史的な物語のリサーチをもとにした作品を展開します。また、過去最大規模の作品となる『Suddenly, she was hell-bent and ravenous (after Giotto)』をNYで行われるアートフェア「The Armory Show」で展示します。いま新たに取り組んでいるのは、スチールの骨組みやサウンドを組み合わせた大規模なインスタレーション作品。これまでの表現を超えて、作品をより立体的で感覚的な空間へと広げていく試みになりそうです。
Suddenly, she was hell-bent and ravenous (after Giotto)(2024年)

Jacqueline Surdell / ジャクリーン・サーデル

1993年、アメリカのシカゴ(イリノイ州)生まれ。現在もシカゴを拠点に活動。幼少期から大学時代まで競技スポーツ選手として活躍し、その経験がストイックな制作技法にも反映されている。2015年にカリフォルニア州ロサンゼルスのオクシデンタル大学でBFAを取得し、その後、2017年にシカゴ美術館付属学校で繊維材料研究のMFAを取得。初の美術館での個展として『Adoration Garden』(アラバマ州バーミンガム・Abroms-Engel Institute for the Visual Arts、2023年)のほか、グループ展『SECRIST | BEACH』(シカゴ、2024年)に参加、アートフェア『EASTEAST_TOKYO』(2023年)などへの出展がある。2024年には日本で一ヶ月の滞在制作をし、GALLERY COMMONで個展『Bliss!』を開催した。

https://www.jacquelinesurdell.com/
https://www.instagram.com/jacquelinesurdell/